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2011/11/06
[ 七つのサイン ] 
 
その一 [ 黒い指 ]
だれもが納得する最もすぐれたサインは、葬祭場を指し示すあの黒い指である。会場に向かうほとんどの人は初めてなのに、みな迷わずたどり着く。

黒い指は、街の景色のなかでひときわ異彩を放つ。周りの色になじまない白黒で見なれぬ形の指は、さほど大きくないのに探している者の目には素早く飛び込んでくる。
あの指が、葬祭業者によって色や形が違っていたら探す方は混乱する。黒い指は、提示する側も見る側もふくめて、日本人の知識のなかに共通認識として完全に定着している。
これだけ識別されやすいものは、他には信号機と緊急車両ぐらいではないか。いや、まだあった。紅白の幕と白黒の幕も、理屈ぬきに誰もが状況判断できる。

 日本人共通のサインって、意外とあるもんだ。


その二 [ バス停 ]
バスを〜待つ間に〜泪を拭くわ〜・・・歌ってる場合ではない。サイン=”バス停の表示板”の話だ。
ご存じのようにバス停の表示板には、路線番号・バス会社・行先・停留所名、それと時刻表がついている。毎日利用している人にとって必要な情報は、そのうちの時刻表くらいだろう。
問題は初めての人だ。まずはバス停を探すのだが、これが見つからない。理由は表示板の設置の仕方と、デザインレベルの低さだ。
初めての人は道のどちら側から乗ればいいのかすらわからないのだから、表示板は遠くからでも見つけられるように、大きさ・形・色を考慮して設置すべきだ。

行先表示板の向きが道と平行になっているものがある。愚の骨頂だ。歩行者の向きに直角でなければ探す者の目には入らない。上の表示板が道に直角ならば、下の時刻表は道に平行でいい。時刻表はバス停にたどり着いてから眺めるものだから、それ自体は目立つ必要はない。裏側は道の反対側で探す人が気付きやすいように目立つ色にして”バス”と大書しておきたい。初めての人はこれだけでもイライラがだいぶ減るだろう。
 
 バスを〜待つ間に〜気持ちを変える〜・・・バスが来た!


その三 [ 交通標識 ]
日本の交通標識は、見づらく、わかりにくく、かつ無駄が多い。つまりデザインレベルの低いサインだ。

近づいてみて、やっと文字が読めたと思ったらもう曲がれない間に合わない。間に合うように設置するにはどの位置で、最低でもどのくらいの大きさが必要かとか、押さえるべきデザインプロセスの基本中の基本ができていない。
標識自体によくわからないものもある。そういうのはさっさと換えるべきで、もともとわからないものなのだから変更しても混乱はおきないだろう。
ドイツの一方通行の標識の裏は通行止めのマークになっている。わかりやすくて無駄がない。日本の交通標識は裏に何もない。”もったいない”

 交通標識を見やすくわかりやすく、合理的で無駄のないものに作り替えてほしい。


その四 [ 押しボタン ]
先日、旅客機の副操縦士が、操縦室のドア開閉用のボタンと機体の向きを変えるボタンを押し間違えて、墜落寸前となる大事件があった。

このニュースで私がとっさに思ったのは、これはボタンの位置を決めた設計者が悪いということだ。旋回したり急降下したりするボタンの隣にどうしてドアの開閉ボタンがあるのだ。それだけは重要なボタンと外れた位置にあるとか、せめて開閉ボタンだけドアの形にするとかそこだけ凹んでいるとか、私だったらそのくらいの設計をする。(エラそうに言うが)

押しボタンにはつねひごろから不満がある。TVのリモコンはその最たるものだ。コンピューターのソフトも悪いが、だいたいボタンが多すぎる。IphoneやIpadを見習ったらどうだ。
シンプルなのにわかりにくいボタンもある。エレベーターの”開ける”、”閉める”だ。三角マークを押そうとして一瞬とまどう。これはデザイナーが悪い。

 さいきん、矢印だけのわかりやすいエレベーターに出会ってホッとした。


その五 [ 地下鉄の出入り口 ]
なれない街で地下鉄の入口をさがすのはたいへんだ。バス停よりもわかりにくい。なにしろ目の前まで来てやっと気がつく。
なぜこんなことになるかといえば、歩行者にたいして直接目にはいる案内板がないのが原因だ。

そこで提案。
まずは遠くから見えるようにとにかく大きな標識をかかげる。標識には斜め下を向いた矢印だけでいい。”METRO”だの”地下鉄”だのの説明はいらない。さがしている人にはそれだけで充分。標識にたどりついて何線か確認さえできればいいのだ。そこまでやってはじめて親切なサインデザインといえる。

出入り口のたくさんある駅で目的の出口をさがすのはたいへんだ。大きくて複雑な駅など、Aの一番からDの何番まで20もあったりする。その表示がまた見えにくい。(見やすくするのはむずかしいことではない)
いちばんの問題は、表示を設置する側が、なれない人の立場に立って物を考えていないからだ。デジタル機器の説明書とおなじで、初心者にやさしくない。

 なにはともあれ、自分がさがすつもりで頼むよ。(住宅は住むつもりで)


その六 [ サインの色分け ]
複雑さを解消するのに色分けという方法がある。

秋葉原の駅はとてもわかりにくい。環状線とそれに直交する線が、それぞれ上り下りで別々のホームになっている。
下のホームから階段を降りれば出口。登れば乗り換えホームだが、上りホームへの階段と下りホームへの階段とがある。
上のホームからはおなじように乗り換え用の降る階段がふたつあり、出口へは下のホームからまた階段を降りる。

とにかくややこしいので、この駅の階段は黄色と青に塗り分けられている。慣れたひとにはわかりやすいが、初めての人にはその色が何を意味するのかまず頭にインプットしなければならないので、やはりわかりにくい。

増築に増築を重ねた結果、温泉宿のようにわかりにくくなってしまった病院がある。ここの廊下には目的地別に分けられた七色?の帯が貼りつけてある。目的の色を頭に入れてその帯にそって歩いてゆくと自動的にたどりつく仕組みだ。
進むにつれて帯の本数がだんだんと減り、最後の一本で目的地にたどりついたときには快感をおぼえる。

 建て替えられたとき、どのくらいわかりやすくなっているだろうか。


その七 [ 無サイン ]
サインは基本的にルールの上に成りたっているものだが、なかにはルールのないサインもある。ルールのないというよりも、無意識のルールに基づくといったほうが正しいのかもしれない。

たとえば木ネジやネジ式のキャップなど、しめたりゆるめたりの方向は暗黙の了解にもとにある。つまりルールの定着したものには矢印などのサインな必要ない。

銭湯のカランもルールがない。押せば出る、離せば止まる(私の祖父が発明したと聞いているが確かめたことはない)。しかも小さい方を水、大きい方を湯にして押しまちがいによる危険を回避している。直感的でとてもわかりやすく、究極のサインといえる。

水道のレバーハンドルも以前は下げれば出る、上げれば止まるようにできていた。それが阪神大震災で逆転してしまった。水栓の上に物が落ちたまま水が出っぱなしになって問題となり、水栓の構造そのものを変えたのだ。そのため、現在の水栓は使い勝手が直感的でなくなってしまい、とても残念に思う。

水道もガスのように地震で自動停止し、人為的に復旧しないかぎり給水されないようにすれば元の操作方法の水栓を復活できる。身近なルールは直感的なのが理想だ。

 直感的でわかりやすい建築をつくりたい。